香川支部三本松分会、中川 義博さん~東かがわ市(積善坊) に伝う西行法師~
場内に院号となった井戸があり、不動明王等が祀られる
寺院は山号、院号、寺号の3つの名称がある。こ0の寺は坊号が加わり4つの名称、全国でも珍しい。
中央に2首の和歌
境内歌碑
表面の歌碑の裏側
瀬戸内家の墓石
隣接の善覚寺山門
萬生寺山門前の笠置シズ子の氏名あり。
西行法師(1118~1190)の家系は、平安時代(794~1185) 末期から鎌倉時代 (1185~1333)初期にかけ、代々京都の非道を取り締まり、果ては訴訟や裁判も扱うようになった強大な権力を持つ検非違使。
佐藤義清(1118~1190)と名乗り、文武両道に秀でた武士。京都御所の北側を警護した役割から「北面の武士」と呼ばれ、一般の武士と異なり、御所直属のエリートである。
出家の動機は不明も23歳で仏門に入り、 僧名を円位・号名は西行と改めるが、僧侶にあって生涯2,300首に及ぶ和歌を詠み、優れた歌人でもあった。
そのうち「新古今和歌集」に94首、「小倉百人一首」にも選ばれ、素晴らしい才能を発揮。
僧侶の修行で陸奥地方や、吉野から大峰の山岳神仏めぐり。生涯吟遊の旅を続けた漂泊の歌人から、江戸時代の俳聖・松尾芭蕉も「奥の細道」に見る如く、憧憬の念を抱いていた。
仁2年(1167)、崇徳上皇(1119~1164)と弘法大師 (774~835)の遺跡を尋ね四国路へ。讃岐(香川)の滞在日数は不明も、善通寺の玉泉院や西行庵で過ごされたと伝承。
その始動は淡路島から鳴門を経て、東かがわ市引田の積善坊へ来寺し、一夏の安居(修行)。 余談ながら東かがわ市引田は毎年ひなまつり、 引田城跡にあやかり戦国武者まつり、令和7年は瀬戸内国際芸術祭で賑わった刮目の地区。
西行法師は四国路の随所で歌を伝え、積善坊も滞在中に2首の歌を詠まれたようで、その1首が境内に建つ歌碑。
“あら鷹の下も引田の浦なれば 沖へに懸る白鳥の松 ”
ちなみに引田地区は笠置シヅ子ゆかりの萬生寺、山門が旧引田城の櫓門移築と伝承を持つ善覚寺、そして西行法師ゆかり積善坊と由緒ある3寺院が並列。隣接の旧相生地区は、岩佐又兵衛が描く天女画像や襖絵の西光寺、源氏ゆかり東海寺が並び、願わくは瀬戸内国際芸術祭の番外会場として5ヵ寺巡りを推奨したい。
なお善覚寺本堂にOB友人の窪田東堂(窪田博幸)が、中国の寒山寺や国清寺で研鑽、畢生の魂込め仕上げた仏教版画を献納。春は総本山・善通寺から移植の『涅槃桜”が話題呼ぶ。
西行法師は積善坊を出発し、四国霊場・讃岐路を巡りながら念願の第20番・白峯寺(坂出) へ、境内に祀られた崇徳上皇の頓証寺殿参り。
長寛2年(1160)、皇位継承のもつれから讃岐へ流され、争いの末路として暗殺。白峯寺は崇徳上皇の御遺体を荼毘に伏した奇縁を持つ。
かつて武士の身で世を捨てた西行法師は頓証寺殿で“石の上”に座し、知友であった崇徳上皇を偲び、御霊を供養されたと伝える。
山門近く参道に上皇の霊を弔う2基の十三重塔。1基は弘安元年(1178)、もう1基は死後160年を経て元亨4年 (1324)に建立。
白峯寺を出立後は、弘法大師生誕地の四国霊場第75番・善通寺へ。さらに第22番・曼荼羅寺境内の昼寝石や、第23番・出釈迦寺へ向かう途中、西行庵が往時の伝説を偲ばせている。
佐藤義清(1118~1190)と名乗り、文武両道に秀でた武士。京都御所の北側を警護した役割から「北面の武士」と呼ばれ、一般の武士と異なり、御所直属のエリートである。
出家の動機は不明も23歳で仏門に入り、 僧名を円位・号名は西行と改めるが、僧侶にあって生涯2,300首に及ぶ和歌を詠み、優れた歌人でもあった。
そのうち「新古今和歌集」に94首、「小倉百人一首」にも選ばれ、素晴らしい才能を発揮。
僧侶の修行で陸奥地方や、吉野から大峰の山岳神仏めぐり。生涯吟遊の旅を続けた漂泊の歌人から、江戸時代の俳聖・松尾芭蕉も「奥の細道」に見る如く、憧憬の念を抱いていた。
仁2年(1167)、崇徳上皇(1119~1164)と弘法大師 (774~835)の遺跡を尋ね四国路へ。讃岐(香川)の滞在日数は不明も、善通寺の玉泉院や西行庵で過ごされたと伝承。
その始動は淡路島から鳴門を経て、東かがわ市引田の積善坊へ来寺し、一夏の安居(修行)。 余談ながら東かがわ市引田は毎年ひなまつり、 引田城跡にあやかり戦国武者まつり、令和7年は瀬戸内国際芸術祭で賑わった刮目の地区。
西行法師は四国路の随所で歌を伝え、積善坊も滞在中に2首の歌を詠まれたようで、その1首が境内に建つ歌碑。
“あら鷹の下も引田の浦なれば 沖へに懸る白鳥の松 ”
ちなみに引田地区は笠置シヅ子ゆかりの萬生寺、山門が旧引田城の櫓門移築と伝承を持つ善覚寺、そして西行法師ゆかり積善坊と由緒ある3寺院が並列。隣接の旧相生地区は、岩佐又兵衛が描く天女画像や襖絵の西光寺、源氏ゆかり東海寺が並び、願わくは瀬戸内国際芸術祭の番外会場として5ヵ寺巡りを推奨したい。
なお善覚寺本堂にOB友人の窪田東堂(窪田博幸)が、中国の寒山寺や国清寺で研鑽、畢生の魂込め仕上げた仏教版画を献納。春は総本山・善通寺から移植の『涅槃桜”が話題呼ぶ。
西行法師は積善坊を出発し、四国霊場・讃岐路を巡りながら念願の第20番・白峯寺(坂出) へ、境内に祀られた崇徳上皇の頓証寺殿参り。
長寛2年(1160)、皇位継承のもつれから讃岐へ流され、争いの末路として暗殺。白峯寺は崇徳上皇の御遺体を荼毘に伏した奇縁を持つ。
かつて武士の身で世を捨てた西行法師は頓証寺殿で“石の上”に座し、知友であった崇徳上皇を偲び、御霊を供養されたと伝える。
山門近く参道に上皇の霊を弔う2基の十三重塔。1基は弘安元年(1178)、もう1基は死後160年を経て元亨4年 (1324)に建立。
白峯寺を出立後は、弘法大師生誕地の四国霊場第75番・善通寺へ。さらに第22番・曼荼羅寺境内の昼寝石や、第23番・出釈迦寺へ向かう途中、西行庵が往時の伝説を偲ばせている。